父が亡くなりまして。
13年前に心筋梗塞を患ってから、次から次へと病気になって、入退院を繰り返してきました。
よく言えば自分の欲望に素直に、悪く言えば好き勝手に、自由に生きてきた父でした。
入院するたび、お医者様からは「いつ死んでもおかしくない」と宣言され、
毎回覚悟して、泣きながら蘇生拒否に関する書類に記入するわたしと弟。
そして毎回不死鳥のごとく蘇る父www
数回目にはサインに慣れて、サインを拒んで私や弟に頼んでいた母もあっさりとサインをするように。
そんなこんなで、父に突然死が訪れたわけじゃなく、
一歩一歩と自ら死に近づいていった13年でしたので、
家族も落ち着いていたわけですが・・・
かといって死に慣れているわけじゃなく初めての経験。
もちろん葬儀の仕方もわからない。
父の遺体をどこに安置するか、移動するならその手段、またいつ式を行うのか、
葬儀社はどうするのか、どんな式にするのか、
どこに誰に電話するのか、・・・???
病院で呆然と立ち尽くす家族。
母の、メモ帳のような小さな電話帳から、父の意向を知っていそうな人に電話をかけ、
段取りを取り、連絡先を聞き、なんとか家に父を迎え入れて、
物言わぬ父の顔を眺めながら、母と弟家族とぽつぽつ夜遅くまで話しながら、
今までをぼんやりと思い返していました。
去年、11月末に退院をしてから2ヶ月、食べちゃいけないものを食べ、
昼間まったく動かずうとうととして過ごし、
夜は眠れなくて同室で寝ている母が嫌がるのも聞かないで、深夜までテレビをつけていた父。
正月に訪問した時に母はそのストレスから耳鳴りとめまいで体調を崩していたので、
翌翌週にまた実家に行ってベッドにカーテンをつけて安眠対策。
そのときに今度は父の体調が悪いって言ってたので心配してたけど、
病院に行ったらまた入院で戻ってこれないと父も母もわかっていたのか、
市販薬で対応してる両親に市販薬なんてやめたほうがいいとはいえず。
結局、その翌週の1月27日にどうにもならなくなって入院、2月6日に息を引き取りました。
2月6日、15時に仕事が終わって携帯を見たらお昼ごろに見知らぬ番号から何度も着信が。
普段は登録番号以外は折り返さないのですが、なぜか気になって折り返すことに。
父の病院からでした。
呼吸が乱れたけど持ち直したと、母には連絡がつかず、
私にも連絡がつかなかったので弟に電話したと、
弟がたまたま仕事がお休みで、17時にきて先生の話を聞けることになったから大
丈夫だと言われました。
弟に電話したら、何かあったら電話するからいいよって。
持ち直したって言うし、不死身だからまた大丈夫だよって。
そういえば明日は父の誕生日だね、じゃ、私は明日行けばいいかな、と。
笑って電話を切って、ちょっと買い物をして家に着いたのが16時。
雨だったからカッパ脱いで、荷物整理して、
朝7時から何も食べてないので、何か食べるかなぁと思ったんだけど、
家にいた娘に父の病状を説明しながら胸騒ぎがしてきて、
携帯見たらまた着暦がいっぱい。
あれ?って思ってたら弟のお嫁さんから電話が。
また呼吸が不安定になったから病院に来てくれと。
やっぱり病院に行ってくるわと娘に留守番を言い渡し再び支度して即家を飛び出して、
乗換駅に到着した15分後、娘から電話が。
母に付き添っていたおばさんから、心肺停止したらしいと病院から電話があったと。
でも私にはよくわからないと、おばさんも動揺しててわかんないけどって言ってたって。
あそうなの、わかったよ、ありがとうね、って。
娘が電話口でおじいちゃん死んじゃったの?って泣き出して。
わかんないからママが病院に行くんだよ、落ち着いて待っててね、
あ、公文行く日よね?早目に行きなさいねって結構冷静に指示だしww
その10分後、次の乗換駅に着いたころ、母から電話が。
「お父さん、死んじゃったぁぁぁぁ」
と電話の向こう側で泣き叫んでいた。
ああ、そうかって。
母をなだめて電話を切って、即座に仕事先に電話をして、明日は出られるけど、
今後はわからないから私が抜けても大丈夫なようにシフトを組みなおしてくださいと店長にお願いして、
バスにするか、タクシーにするか、電車にするか、
立ち止まってぐるっと地下の駅構内を見回したらぶわっと涙があふれて。
ああ、死んじゃったなって・・・。
タクシーにしようと地上に出て、パパに電話したら仕事中なのに繋がって、
事情を伝えてたらちょっと頭が冴えてきて。
パパの声は癒し効果絶大でしたw
動揺して電話口で泣いていた娘をむりやり公文に行くように言ったからか、
娘は即行動したらしく公文からも到着メールが届いたから到着はしてることはわかっていて、
でも終わった後パパが帰るまで自宅で一人きりで待たせるのは可哀想かしらと、
公文から家に帰らせないでパパの実家で預かってもらうとひらめいて、
その旨パパに伝えて実家に引き取りに行ってとお願いして、
娘にメールを打ち実家に行くように指示して、
実家に電話して父の訃報と娘を預かってとお願いしながらタクシー乗り場に移動して、
タクシーに乗り込んで。
金曜日に友人と飲みに行く約束があったから断ったり、違うメールにも返信したり。
父のことがなければ滞りなく済んでいたことも、もう、何から手をつけていいやら。
1週間のスケジュールを確認しながら、振れる仕事は誰かに振るかと考えるもやっぱり面倒。
自分でこなせる段取りを考えてみたり。
ふと気が付くと、雨足が強くても暗くてもわかる、病院近くの見慣れた光景。
ああ、もうすぐ着いちゃう。
渋滞しててのろのろとしか進まないけれど、病院に着いたら死を受け入れないと。
病院まであと50メートルってところで変にどきどきしてきて、
すぐにタクシーを降りて歩くことにして病院の前のコンビニに寄って、
おにぎり買ってコーヒー買ってお茶買って。
他には何も買うものが思いつかなくて、うろうろした後意を決して病院に入ったのでした。
言いたいことも山ほどあって、後悔もいっぱいあるけれど、
できることは精一杯やってきたと、後悔したって遅いから考えるのはよそうと。
自分を信じたい気持ちでした。
2月9日木曜日に通夜、2月10日金曜日にお葬式を終え、今日は家族で家中お掃除しました。
もう、これで一段落です。
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