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平凡な毎日のつぶやきを取り留めなく… ノ・ミヌ 君 を応援しています!患者です~~ ドラマ(主に韓流ドラマ)にハマっています。
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プロフィール
HN:
koto・ぽんちょ
性別:
女性
自己紹介:
マメで優しい6歳年上のダンナ様と、高校2年生の娘がいます。

娘のマイブームはバレエで踊ること。

私は日本のドラマと韓流ドラマを観ること。

そして私と娘二人で「ノ・ミヌ」さんの患者でしたが、最近は全くライブにも行けなくなって・・・

ダンナ様の趣味は音楽を聴くこと。

娘には食物アレルギーがあったのですが、
最近よくなって、食物制限もほぼ解除。

何でも食べられるってすばらしい!

よろしくお願いいたします。
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主婦が泣いてても・・・

なんだかねーemoji

いろいろあったわけですよ。
店長に八つ当たりされて、まぁすごく忙しいし、
忙しくしている原因は私にもあるし
(扶養の関係でシフトを減らしてもらってるemoji
めっちゃ悔しかったけど、それはそれで家庭には持ち込まず仕事場で消化して…

八つ当たりされたから私も無視したりemojiemojiemoji
無言で仕事して、でもやっぱモヤッとしてるから失敗も多くて…

ま、さらに怒られたりもして、またそれも無視して抵抗して、
バトルして、帰り道は頭冷やそうと45分、雪の中歩いて帰ってきて…

なんとなく忘れて、家に帰れば娘がバレンタインで浮き足立ってて
着替えてBFのお家に届けに行くなんていうから
一緒にうきうきしたりして。

晩御飯も終わってPCに向かって、テレビ見てリラックス…

忘れてたのに

忘れていたのに店長が「ごめんなさい」って電話してきた。

ちくしょーーーー

思い出させんなよ!

って、素直にごめんなさいを受け入れられない。

ぶわぁぁぁ----っと涙があふれて、PCに向かいながら一人で泣く。

そしたらパパと娘、
私の肩をたたいたり、話しかけたり、生返事なのも気にせずに
いつも通り楽しそうで。

「ママー先にお風呂もらうねー」
「まみこーだいすきー♡まみこまみーこーetc」(娘は私のことをまみこと呼ぶ)

泣いているのに一向に気がつかないemoji

なんだかなーそんなもんかなー
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ぐるぐるまわる

父が亡くなりまして。

13年前に心筋梗塞を患ってから、次から次へと病気になって、入退院を繰り返してきました。

よく言えば自分の欲望に素直に、悪く言えば好き勝手に、自由に生きてきた父でした。

入院するたび、お医者様からは「いつ死んでもおかしくない」と宣言され、
毎回覚悟して、泣きながら蘇生拒否に関する書類に記入するわたしと弟。

そして毎回不死鳥のごとく蘇る父www

数回目にはサインに慣れて、サインを拒んで私や弟に頼んでいた母もあっさりとサインをするように。

そんなこんなで、父に突然死が訪れたわけじゃなく、
一歩一歩と自ら死に近づいていった13年でしたので、
家族も落ち着いていたわけですが・・・

かといって死に慣れているわけじゃなく初めての経験。
もちろん葬儀の仕方もわからない。

父の遺体をどこに安置するか、移動するならその手段、またいつ式を行うのか、
葬儀社はどうするのか、どんな式にするのか、
どこに誰に電話するのか、・・・???

病院で呆然と立ち尽くす家族。

母の、メモ帳のような小さな電話帳から、父の意向を知っていそうな人に電話をかけ、
段取りを取り、連絡先を聞き、なんとか家に父を迎え入れて、
物言わぬ父の顔を眺めながら、母と弟家族とぽつぽつ夜遅くまで話しながら、
今までをぼんやりと思い返していました。


去年、11月末に退院をしてから2ヶ月、食べちゃいけないものを食べ、
昼間まったく動かずうとうととして過ごし、
夜は眠れなくて同室で寝ている母が嫌がるのも聞かないで、深夜までテレビをつけていた父。

正月に訪問した時に母はそのストレスから耳鳴りとめまいで体調を崩していたので、
翌翌週にまた実家に行ってベッドにカーテンをつけて安眠対策。

そのときに今度は父の体調が悪いって言ってたので心配してたけど、
病院に行ったらまた入院で戻ってこれないと父も母もわかっていたのか、
市販薬で対応してる両親に市販薬なんてやめたほうがいいとはいえず。

結局、その翌週の1月27日にどうにもならなくなって入院、2月6日に息を引き取りました。

2月6日、15時に仕事が終わって携帯を見たらお昼ごろに見知らぬ番号から何度も着信が。
普段は登録番号以外は折り返さないのですが、なぜか気になって折り返すことに。

父の病院からでした。

呼吸が乱れたけど持ち直したと、母には連絡がつかず、
私にも連絡がつかなかったので弟に電話したと、
弟がたまたま仕事がお休みで、17時にきて先生の話を聞けることになったから大
丈夫だと言われました。

弟に電話したら、何かあったら電話するからいいよって。
持ち直したって言うし、不死身だからまた大丈夫だよって。
そういえば明日は父の誕生日だね、じゃ、私は明日行けばいいかな、と。

笑って電話を切って、ちょっと買い物をして家に着いたのが16時。
雨だったからカッパ脱いで、荷物整理して、
朝7時から何も食べてないので、何か食べるかなぁと思ったんだけど、
家にいた娘に父の病状を説明しながら胸騒ぎがしてきて、
携帯見たらまた着暦がいっぱい。
あれ?って思ってたら弟のお嫁さんから電話が。
また呼吸が不安定になったから病院に来てくれと。

やっぱり病院に行ってくるわと娘に留守番を言い渡し再び支度して即家を飛び出して、
乗換駅に到着した15分後、娘から電話が。
母に付き添っていたおばさんから、心肺停止したらしいと病院から電話があったと。
でも私にはよくわからないと、おばさんも動揺しててわかんないけどって言ってたって。

あそうなの、わかったよ、ありがとうね、って。

娘が電話口でおじいちゃん死んじゃったの?って泣き出して。
わかんないからママが病院に行くんだよ、落ち着いて待っててね、
あ、公文行く日よね?早目に行きなさいねって結構冷静に指示だしww

その10分後、次の乗換駅に着いたころ、母から電話が。

「お父さん、死んじゃったぁぁぁぁ」

と電話の向こう側で泣き叫んでいた。

ああ、そうかって。

母をなだめて電話を切って、即座に仕事先に電話をして、明日は出られるけど、
今後はわからないから私が抜けても大丈夫なようにシフトを組みなおしてくださいと店長にお願いして、
バスにするか、タクシーにするか、電車にするか、
立ち止まってぐるっと地下の駅構内を見回したらぶわっと涙があふれて。


ああ、死んじゃったなって・・・。



タクシーにしようと地上に出て、パパに電話したら仕事中なのに繋がって、
事情を伝えてたらちょっと頭が冴えてきて。

パパの声は癒し効果絶大でしたw

動揺して電話口で泣いていた娘をむりやり公文に行くように言ったからか、
娘は即行動したらしく公文からも到着メールが届いたから到着はしてることはわかっていて、
でも終わった後パパが帰るまで自宅で一人きりで待たせるのは可哀想かしらと、
公文から家に帰らせないでパパの実家で預かってもらうとひらめいて、
その旨パパに伝えて実家に引き取りに行ってとお願いして、
娘にメールを打ち実家に行くように指示して、
実家に電話して父の訃報と娘を預かってとお願いしながらタクシー乗り場に移動して、
タクシーに乗り込んで。

金曜日に友人と飲みに行く約束があったから断ったり、違うメールにも返信したり。

父のことがなければ滞りなく済んでいたことも、もう、何から手をつけていいやら。
1週間のスケジュールを確認しながら、振れる仕事は誰かに振るかと考えるもやっぱり面倒。
自分でこなせる段取りを考えてみたり。

ふと気が付くと、雨足が強くても暗くてもわかる、病院近くの見慣れた光景。

ああ、もうすぐ着いちゃう。

渋滞しててのろのろとしか進まないけれど、病院に着いたら死を受け入れないと。

病院まであと50メートルってところで変にどきどきしてきて、
すぐにタクシーを降りて歩くことにして病院の前のコンビニに寄って、
おにぎり買ってコーヒー買ってお茶買って。
他には何も買うものが思いつかなくて、うろうろした後意を決して病院に入ったのでした。

言いたいことも山ほどあって、後悔もいっぱいあるけれど、
できることは精一杯やってきたと、後悔したって遅いから考えるのはよそうと。
自分を信じたい気持ちでした。

2月9日木曜日に通夜、2月10日金曜日にお葬式を終え、今日は家族で家中お掃除しました。

もう、これで一段落です。

悪夢再び・・・

3日から仕事。
店のオープンから一人で。朝9時にバイトの子が一人来て、その後二人回し。
それなりに忙しくて「ひぃぃぃ~~~」って仕事して。
それから4連勤で、4日はランチからアイドル時間も一人でこなして夕方まで。
金曜日はランチでて、4時間休憩とって、自宅に帰って晩御飯支度してディナータイムに。

なーーんてことしてたらキマシタヨ。悪夢再来。

ぎっくり腰

歩けるけどね。
立っていられるけどね。
トイレでパンツも下ろせるし。←その程度。

ま~~~~~~~~痛いのなんのって。

これを飲み始めてから一回もぎっくり腰をしなくなりました!

なんて豪語してみんなにもオススメしてた塩野義のべリックス錠。
ココ3ヶ月ほど、飲み忘れてました

で、回復を期待して飲み始めたベリちゃん。
少し多目に飲んでみたけど、黄色くならないの。

飲み続けているときには多分過剰に摂取してるのであろうビタミンが尿に出ちゃって真っ黄色に。
それがまったく色に出ない。

うーーーん。多分何かが足りてなかったんだな。
こんな話は聞いた事ないけど、きっとぎっくり腰に関連してるはず。
これが不足するとぎっくりになりやすい何か。あるんだよ。

で、これには入ってるんだよ、べりちゃん。

べりちゃんすげーーー。


今日はお休みで何の予定もなかったので、朝寝坊してその後もゴロゴロして、ホントにゆっくりしてました。

明日は実家の新年会で浅草に行く予定。

歩けるし、食べれるし、行かないと!←食いしん坊。

ダウン・・・

嘔吐に下痢、発熱・・・

夜にパソコン座ったころからなんとなく目が廻り、
今日は早めに寝ようかな、と思って布団に入ったものの、
その後1時間に一度は起きだして、上記の症状で便器を抱えて苦しみました。

そして悪夢はもうひとつ。
娘も同様の症状で、同時間に、もだえ苦しんでいる!!

しかし助けることが出来ない・・・・(/_;)トイレは一個。

娘は床に、階段に、布団に、もだえながら吐きまくり。

それはもう、大変な惨状となったわけで・・・(/_;)

元をたどれば日曜日。パパがこんな症状で苦しんでおりまして、娘と二人で笑っておりましたさ。
で、二人にまんまと変な菌を移して全快したパパが、娘の吐瀉物を拭いて回っておりましたw

で、水洗いまでお願いして、なんとか洗濯機だけ回し、干すのはお願いして私は横になってました。

発熱、きびしいーーーーー。私は38度ほどまで、娘は39度まで。結構節々が痛い。
でも仕事が詰まってたので、とりあえず病院へ。

胃が痙攣したように波打つ感じで痛むので、クスリを貰い、何も食べず何も飲まず。

インフルエンザじゃないけれど、菌は便にいるから感染には気をつけてといわれたので、
アルコール消毒ばっちりで仕事へ。
仕事中は一度もトイレにも行かず、アルコールを手放さず、何も口にせず、6時間。

この年末、ほんとに人がいなくて、(辞めたり引っ越したりで)
仕事のシフトを出すのに練りに練ってやっと完成させたシフトだと知っているので、休むに休めない(/_;)

今日は30日。今年最終日。
朝6時からのシフトをこなして8時間、夕方帰ってきたころ、やっと回復。

晩御飯食べても吐き気もなく、ほぼ全快♪

年賀状と御節はもう諦めなさいと病院の先生に言われたけどw
ほんとにそう思いましたwww

でも元気になると諦めきれない。

さっき黒豆ときんとんの下ごしらえをしてきました。

さて、これから年賀状、がんばるかな・・・・


それにしても健康が一番ですね。

ぐ、ぐ、ぐあむ旅行記~にはならない

父の気管支炎のお見舞いに行った翌週、父は良くならずにそのまま脱水症状が出て、貧血が出て、入院となりました。

まぁどたばたありまして、どう見てもおかしいんだから救急車呼べばいいのに、母とたまたま遊びに来ていた弟に任せたら救急車呼ぶの恥ずかしがったりなんかして、うだうだ外来で診察させて点滴打ったりして、様子見なんかしたので入院させるのに苦労しましたが。

今回は数値的に羅列するのが面倒なほどの状態の悪さ。

即入院となった翌週、「とりあえずあと1週間はもってくだされ~」とか軽いことを言いつつ、グアムに行ってきました。

父は不死身なのでまぁ、大丈夫かと。

グアムは初めて行ったのですが、とってものんびり出来ました。
時差はないし、飛行機は3時間半。
乗り物酔いと時差酔いでめっきり弱る私にはちょうどいい外国。
台風11号と12号が若干過ぎ去った後、台風を飛び越えてグァムに上陸し、台風を追いかけて日本に帰ってきた感じ。
雨季だから雨も多かったけど、台風の影響は最小限。まぁまぁの天気。

行きの飛行機でトランクに穴が開き、買ってきたお土産は壊れ、ウォークマンは失くしてしまったけど、まずまずの旅行でした。

旅行記、書けるかなー。
じかんがあったらまた、今度。


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