~悲しみケア~
子供を死産したあとや、産まれてすぐに亡くなった赤ちゃんを無機質な霊安室ではなく、子供の死を受け入れるための明るい部屋で、ちゃんとした赤ちゃん用のベッドやカゴに寝かせ、亡くなってしまったけれどその赤ちゃんを家族で沐浴させベッドに寝かせて、きちんと家族として受け入れてから、「さよなら」をする。。。
…という病院があると、テレビのニュースで紹介していました。
今日、娘の友人のお父様のお葬式がありました。
我が家と同じく一人娘で三人家族。亡くなったのは、我が家からわずか100歩先に住んでいる家族の大黒柱のお父様でした。
娘同士仲良くさせてもらっていたのでお互いに家にも行き来していたから、ママともよく他愛のないおしゃべりをしていました。
彼女はやさしくていつも子供に一生懸命で、お父様も子煩悩で、家の前を娘と二人で歩く姿を良く見かけていました。
小学生の一人娘と共に、夫を失った彼女は今どんな気持ちでいるんだろうと思うと言葉がなくて、ただただ、ご冥福をお祈りするしかなく、娘さんもまだ小さいのに寂しいだろうな、と思うとただ切なくなるばかり。
でもこの気持ちって「同情」?
「同情」って言うと、なんだかものすごく悪い言葉のように思えて、また人様の身の上に起きた事で落ち込む自分にも嫌気が差して、もうどうしていいものやらって、また落ち込んで。
そんなときに目に飛び込んできたのが
こんな気持ちは、「同情」ではなくて「慈悲」だと言う言葉。
最近、同情とか慈悲の心が欠如しているから、悲惨な事件や事故が起こるのではないか、
だから他者の不幸を悲しむ気持ちを持つことは大事なんではないか、
というとある新聞記事の一文でした。
なんだかちょっとだけ救われた気持ち。
どうやら私は感情移入しやすいようで、すぐに人様のことで心を乱してしまうみたい。
でも、それでもいいじゃないかと。
同情であれ慈悲であれ、悲しいものは悲しいんだからいいじゃないかと。
「慈悲」かぁ。
私は菩薩ではないけれど、哀れみ、苦しみを除き(これは難しい?)楽しみを与えようとする気持ちがあっていいじゃないか。身近な人だけでいいから、ね。
で、冒頭の~悲しみケア~に戻るわけですが、テレビの前で、今日もまた、悲しみの受取り方について遺族の方々が話しているのを見て泣いてしまいました。
でもいいじゃん、悲しいんだもん。泣けてくるんだもん。知らない人だけど頑張れって思うんだもん。
それにしても、医療機関でこういうケアに力を入れている病院があるって知れただけでも得した気分。
悲しみって、当たり前に受け入れられるものじゃないってことでしょ?
そうだよね、そうなんだよね。いいんだよね。
でも、もしこれから、私が大事な人に「さよなら」しなきゃいけないときに、「さよなら」って言えるかしら。
でも頑張らねば。「さよなら」が言えるようにしなきゃ。
でもできれば、永く一緒にいられますように。
一緒にいるとき、大切な人達が、幸せであることに気がついてたくさん楽しんでいますように。
私といて、楽しいと思ってくれますように~~~~~と願っていると涙がまたボンロリと。。。
でも人前じゃ泣かないよ!大人だもん!←甚だ怪しい
最近、こんなことをグルグルと一人で考えていたのでありました。。。
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でも、kotoちゃんのこの日記を読んで、なんだかストンと楽になったの。
ありがとう!
ご近所のお父様のご冥福と、ご家族の悲しみが少しずつでも癒されていくことをお祈りします。