「この間さ、家に帰ってきたんだ。2泊ぐらい。」
「ウチってどこの家?」
「○○(←父の生家)」
「入院しているんだから行けるわけないでしょう?歩けないんだから。夢のハナシでしょ?」
「いや、違う、ホントに行ったんだよ。みんないてさ、ご飯もたくさん食ってきた。楽しかったなー」
父が、母に田舎に帰った話をしたそうだ。それは楽しそうに。
30年以上も住んできた自分の家は思い出せないけれど、生まれ育った生家のことはよく覚えているらしく、よく話題に上る。
子供還り…なのだろうか、昔のことばかり思い出すらしい。
ただ、入院して拘束されている父が帰れるわけがない。
夢と現実の区別がつかないのだろう。
「たださ、兄貴がいないんだよ。みんないるのに、兄貴がいない。帰ってこないんだって」
父が言う、その「兄貴」とは、父のお兄さんのこと。
わたしにとっておじさんの、今日は四十九日法要でした。
父は夢の中で生家に帰り、亡くなったお兄さんに会いに行ったのだろう。
お墓に入る前に。
自分の実兄の死を知らされていない父が、せっかく夢の中で会いに行ったのに、おじさんはもう、家にはいないみたい。
最後を送れなかったから、夢の中だけでも会えたらよかったのにね。
父はまだ、こっちに来ちゃいけないよって言うおじさんのメッセージなのかもね。
そんな言葉を胸に秘めて、おじさんの写真を見ながら、お線香を上げ、私もさよならをしてきました。
ーーそうそう、余談なのだけど。
お寺が立派になっていました。
昔はただ広くて草ぼうぼうの寺までの土地が、きちんと壁がめぐらされ区画整理され、修派問わずのお墓になって売り出されたらしく、綺麗に整備されて満員御礼。お寺も豪華になり、待合室なる建物と巨大仏像が出来てました。すげー。
無縁仏…ではないんだけど、それは昔はそれなりの墓標だったけれど、年月がたって、風化して、お墓とも石とも判別できないような小さな石の塊があちこちにゴロゴロ転がっていたのに、そんな石は一箇所に集められて供養されたみたいで、淀んだ空気を感じなくなりました。
なんだかねー昔は怖かったのよ。お墓参り。
今日は全く怖くない。
なんていうのかなー、お墓にはいろんな思念とかが漂っていて、いろんなものを感じたわけです。子供の頃は。
(ただ単に怖がりだったってこともあるんだけど)
でも、今日見たお墓は、ただの箱モノでした。お骨を入れておくための、箱。
箱参りに意味はあるのか?!なんて思う一方で…
最近ではお墓(箱)参りに心癒されるようになってきました。
歳取った証拠かしらん?
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