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平凡な毎日のつぶやきを取り留めなく… ノ・ミヌ 君 を応援しています!患者です~~ ドラマ(主に韓流ドラマ)にハマっています。
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プロフィール
HN:
koto・ぽんちょ
性別:
女性
自己紹介:
マメで優しい6歳年上のダンナ様と、高校2年生の娘がいます。

娘のマイブームはバレエで踊ること。

私は日本のドラマと韓流ドラマを観ること。

そして私と娘二人で「ノ・ミヌ」さんの患者でしたが、最近は全くライブにも行けなくなって・・・

ダンナ様の趣味は音楽を聴くこと。

娘には食物アレルギーがあったのですが、
最近よくなって、食物制限もほぼ解除。

何でも食べられるってすばらしい!

よろしくお願いいたします。
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回復

一昨年はその大半を病院で過ごし、娘である私が誰かも、妻である母が誰かもわからない状態だった父が、今日、2年ぶりに、朝、突然の電話で、「思い立ったから」と我が家に遊びに来ました。

電車で2度乗り換えて1時間の距離。

けして遠い距離ではないけれど、少しづつ回復してきたとはいえ、去年なら父自ら「出かけたい」なんて言うことはなかっただろうと思うと、ほんとに心身ともに回復して良かったなと心から思う。
付き添う母も嬉しそう。


今考えると不思議なのだけれど、去年など、父が倒れても何も感じなかった。
命に関わる緊急なことでも、度々起こると、雑事が先にたち自分の感覚が麻痺するらしい。

看病する母のこと、病院のこと、薬のこと、治療のこと、今後の見通しのこと、緊急のこと、見舞いのこと、費用のこと、万が一のこと…。

悲しいとかつらいとか大変だとか感じていたら、一歩も前に進めなかったと思い返す。
やらなければいけないことを収集し、こなし、そして忘れる。
大げさだけど、無駄だ…と思っても、何で私が…と思っても、自分を殺してでもやってきたことが実を結んだ気分だ。

健康であることの幸せ。家族がいる幸せ。

悩みは尽きないけれど、悩める余裕があることの幸せ。
脳内でブツ切れだったいろんな言葉が繋がる実感。去年にはなかったこの感覚が嬉しい。

新年早々、壊れてたパソコンもあっけなく治ったり、しなきゃと思っていたバレエ教室の更新もサクサク出来たり、新パソにインストールしようと思いつつ溜まっていたものも完了したから、新パソで印刷もスキャンも出来るようになった。
コレで私のノーパソが軽くなって、何をするにしても効率が上がるかも~。

また、本を捨て、部屋を掃除した。
(去年、大掃除は「やらないことリスト」の最上位だった…w)
読み返す暇もないから捨てようと思いつつどうしても捨てられなかった本が、未練なくザックザクと捨てられる。
気持ちいい~~~\(^o^)/
借りた本も返さなきゃ。

父と一緒に私も回復したみたい。

今年はもっといいことがありますように。
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きちゃない話ではアリマスが

日経新聞(のたぶん夕刊だったか?)に載ってた「うんこ」の記事。

記事はクソ(ぷ)真面目に「ウンコほど身体の情報満載のブツはないから、見ないともったいないよー」って言ってるんですが、真面目なだけに面白くて。
しかもその形状によって「うんぴ」「うんにょ」「うんご」などの名称をつけ(←想像できるからエラク可笑しい)、自分の身体を認識しましょう♪みたいなことでして。

年末年始、出先のトイレで必ずといっていいほどの高確率で遭遇する親子の会話に、思わず「ぷぷ」と目を細めて聞いていただけに、この記事が頭から離れない。
ので、ココでアウトプットしておきます(^^ゞ

親子の会話はこんな感じ。

「ママーいっぱい出たー」
「あら、そう。エライエライ」
「みてよぉ、ママ見てったら~」
「いいわよ(-"-)」
「やだ、見てよ、ほらぁ」
「いいから。見なくていいから早く流しなさい!!臭いでしょ!(--〆)」


「エライ」って私もつい娘に言うのだけど、人様の親子会話を聞いてたら、なんで「えらい」のか?って考えちゃって、そんな自分も可笑しくて。
なんで「エライ」んでしょう?

そういえばあかんぼの頃、便秘で自力で出せない我が子にどうしたもんかと悩んで育児書を捲れば「綿棒にベビーオイルをつけてお尻をこちょこちょしてください」なんてオソロシゲナことがさも簡単そうに書いてあって、大真面目に綿棒握りしめて我が子のメロンよりも小さいお尻を眺めながら「お尻にコレを入れるなんてできない…」って脇汗掻いてた自分の若かりし頃を思い出したりして。

とするとやはり、自力でごりっぱに用を足せるようになったのだから、親としては我が子が「エライ」って感じるんでしょうね、きっと。

実はうちのポーは情報を親に伝えます。
で、女の子だし、9歳だし、それってどうなの?って最近疑問に感じてたんですが、なんだ、年齢は確かに低めだけど、どこの子供も同じなのね、ならいいんでないの?って目を細めていたわけです。

ま、新聞でも見たほうがい言っていってるし、見たほうがいいんでしょうね(笑)


ただの「うんこ」記事でしたが、いろんな方向に記憶の糸がするりするりと解けていったり回路が繋がったりして、子供の成長を実感すると同時に、自分もいつの間にか赤ちゃん言葉を卒業したり育児の一部を卒業したりしてるのだなぁと実感したのでした。

読めねーでないかい

「けつだんしようと しまいと
 あなたは かならず 
 こうかいするのだから
 プラスしこうで いどむほうがよい」

読み難かったね。
 

落し物

私が拾ったわけじゃなく、お店の忘れ物なんですが。

「忘れ物です。取りに来たら渡してください」のメモがセロテープで張られて、無造作に作業台に置いてある…

一応中身を確認したら、1万円札含む数枚のお札。小銭。保険証。キャッシュカードも数枚あって、さらに12月30日の新幹線の乗車券。
どうみてもオトコモノと見られる形容の財布なのに、キャッシュカードや保険証の名義は女性。ちょっと怪しげ。

忘れていったのはたぶん土曜日の夜で、日曜日の昼、私が出勤したときには朝の人と交替した後、つまりは従業員だけでも数人の手を渡った後でした。

で、翌日になってもまだ取りに来ないと言うことは、落とし主はココに忘れていったことが分かってないのでは?とちょっと心配に。

さらに忘れていった人も見たわけでもなく、状況もわからず、例えば落とし主が現れたとして、本人確認もせずに渡していいのかも疑問。
落とし主が2人現れたらどうするのか?
また、落とし主に「お金が足りない」とか言われたらどう対処していいかも。

結局、私が仕事の帰り際に警察に届けました。

でも結構面倒。
権利は拾った人にあるから、拾った人と場所が必要で、更にその場所の責任者の連絡先も必要で、拾った人と一緒にその場所の責任者にも権利があるとか。でも届け人は私で…とややこしい。
結局店長に電話したり、書類の書き方で警察でもめたり、時間もかかってグッタリ。。。

そういや昔、財布拾って届けたら、すぐに持ち主が現れて、感謝より先に「金額が足りない」と疑われたことも思い出してなんだかがっくり。
(このときの財布は投げ捨ててあったから、きっと拾われて中身を抜き取られ投げ捨てられたのを私が拾ったと思われるのだけど)

警察は持ち主が現れたと言う連絡はしてくれないのですが、書類の期間内に連絡をすれば、権利を主張できるそう。
持ち主がいれば謝礼金を相談できるし、持ち主が現れなければ…もらえるということなのかな?

でも店長も拾った社員さんも権利はどうでもいいらしい。私もだ。

とにもかくにも落とし主さんは今日、ちゃんと新幹線乗れたかな~?
間に合っていれば、よいのだけど。

夕刊情報

ココ1年ほど、忙しくなるにつれ遠ざかる世間情報についていかねばと、日経新聞の夕刊だけは読むようにしていました。

もう、なんつーかこれがですねぇ、ことのほか重労働でして、とにかく新聞を読む時間がとれない。読んだ新聞はリサイクルBOXへ。読み終わらないと玄関に無造作に積まれるわけで、これがまたイライラの原因になったり(-"-)

「私は読むんだ!!読まねばならんのだ!」

と思って読まないと読めないので、どうせ読むのは自分だけだと割り切って、親父さながらトイレに持ち込んでみたり。

読むという行為事態は好きなんだけど、1年前の私には読んだ内容を噛み砕いて吸収できる余裕がまるでなく、最初の家は目の前の活字を素通りするばかりで何を読んでいたのか記憶に留まっていない。

でもそのうち連載小説やコラムも楽しみになり、やっとこさ有益な雑学が頭に入ってくるようになりました。


で、本題。

ずっと気になっていた「喪中・はがき」の返信。

そもそもね、「引越ししました。・はがき」とか、「結婚しました・はがき」とか、返信しますか?

粗雑に育ったせいかそういったことには恥ずかしながら無知でして、今までずっと
「はい、わかりました、了解です。」
と心の中で納得するだけで、特に返信したことありませんでした。
そういうお知らせって一方的でいいのかと。出したほうはお知らせすることが目的なんだと、先方に問題なく了解して受け取ったのであればそれでオッケーだと。
わざわざはがきを買い返事を書く…という考えには及ばず数十年が経過…。

でも最近、それじゃいかんかも…と、連絡をくれた方には返信をするように意識してきました。
メールという簡単な返信手段が出来たからこそなんだけど、せっかく知らせてくれたのだし、今度遊びに行くねーとか、おめでとう、とか、はがきついたよーなんとか一言でいいから迅速に。

でも喪中はがきに限っては文章も浮かばず…どんなん?と疑問のまま。

そしたら新聞の「実践マナー塾」に載りました。

「喪中のおはがきを頂きました。お寂しい年越しと存じます。くれぐれもご自愛のうえ、新しい年をお迎えください」
とすぐに返信すると言う方法。

ほーーーーーーー。適切で素晴らしい言葉です。

あと寒の入り後(2009年は1月5日以降)、寒中見舞いを出すこと。
ただし「寒中見舞い」というのは優位に立たないとできないので、目上の方の場合「寒中お伺い申し上げます」と書くほうがよいと言う考え方があること。

ほーーーーーーー。そうなのか、そうなのね。なるほど。

私自身、お知らせはがきを出したことがないから気がつかなかった「返信」についてのこと、ちょっと分かってちょっとよかったな。
どこまで実践できるかはわかんないんだけど、ま、できるだけということで。

まずは年賀状を仕上げねば、なのです(^_^;)


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